ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第2期#3「型」をインストールする──媒体

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【課題】

「型」をインストールする

“自由で新しい批評”なんて惹句を見かけます。批評は自由であるべきだし、いくらかは新しくあるべきだ。わたしもそう思います。けれど、何からの「自由」なのか。既存のスタイルや暗黙のコードからの解放=自由でしょうか。だとすれば、そのへんに転がっている身辺雑記ブログとどこがちがうのか。もちろん、ブログにも良質の批評の種は胚胎しています。でも、あなたが書きたいのは日常のあれやこれやに気の利いた寸評を与えて溜飲をさげるようなブログのエントリなどではないはず。では、あらためてあなたが書こうとしている批評とは何なのでしょう。この問いに答えを出す前に、わたしからの課題に着手していただこうと思います。

《任意の作品を自由に論じなさい。作品のジャンルや数は問わない。ただし、叙述にあたって、『ゲンロン2』所収の「【年表】現代日本の批評1989-2001」に記載された固有名群から1つを選択し(批評方面の人名に限定)、当該人物の批評文がもつ文体や構造をあたうかぎり模倣すること。また、どの人物を選択したのかがわかるよう文末に註記すること。》
*「模倣の達成度」と「分析の魅力」との2点で採点し、総合的に評価する。

「新しい」批評はオーソドックス(正統)な批評のバリエーションの海に沈潜した先にしかありえない。少なくともわたしはそう思います。ですが、いまや、その正統たちがつい最近までどこにあったのかさえすっかり忘却されてしまっている。歴史も文脈も蓄積もゼロの地平でいわば批評モドキが跋扈する。そんな泥梨のごとき光景を再審にふし、ほんとうの批評を再生すべく、「現代日本の批評」というプロジェクトは立ちあげられたわけです。
丸山眞男は断言しています。スクールの任務とは「型」を教え込むことに尽きると。わたしの担当回では、“批評の「型」”について考えていきます。トレーニングの早期段階で「型」を自覚する工程は不可欠ですから。水準はともかく、ここを越えないことには先はありえません。

 

【イベント後記】

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togetter

 

 

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大澤聡 Satoshi Osawa

1978年生まれ。批評家/メディア研究者。近畿大学文芸学部准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。日本の思想やジャーナリズムの歴史的変遷を分析しつつ、現代社会やカルチャーに関する批評活動も広くおこなっている。著書に『批評メディア論』(岩波書店)。編著に『1990年代論』(河出書房新社)、『三木清教養論集』(講談社文芸文庫)、『三木清大学論集』(同)、『三木清文芸批評集』(同)などがある。

佐々木敦 Atsushi Sasaki

撮影=新津保建秀
1964年生まれ。批評家。HEADZ主宰。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉主任講師。『即興の解体/懐胎』(青土社)、『ex-music(L)』『同(R)』(アルテス・パブリッシング)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン)、『シチュエーションズ』(文藝春秋)、『批評時空間』(新潮社)、『未知との遭遇』(筑摩書房)、『ニッポンの思想』、『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、『ゴダール原論』(新潮社)、『例外小説論』(朝日新聞出版)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、など著書多数。近著に『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『筒井康隆入門』(星海社新書)、『新しい小説のために』(講談社)がある。

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放送開始
2016/07/13 19:30
タイムシフト視聴終了
2016/07/20 18:00
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放送開始
2016/07/13 21:30
タイムシフト視聴終了
2016/07/13 23:59