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〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉の講義を生中継します。
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「講評」部分については、タイムシフトを公開しません。あらかじめご了承ください。
【課題】
肉体とは何か、それを「さまざまな出来事が刻み込まれる平面」と定義したのはミシェル・フーコーであった。もしそうだとするならば、出来事の多様性によって肉体もまた多様な姿をとって現れるだろう。いや、むしろ現実に、歴史的な推移の中で、肉体があまりにも違った姿で表象されてきたことを確認することからフーコーはこのような肉体の定義に辿り着いたのだ。特権的肉体、器官なき身体、錯乱する身体、衰弱体、カタストロフィーの身体、こども身体、表層的身体、エイリアンの身体、滑走する身体、崩壊する皮膚など、われわれの周りでも、身体はさまざまに命名されてきた。もちろんそれは身体の普遍的な特徴を指し示すものではなく、その時々のそのありうべき姿、もしくは現実にある身体についての命名である。歴史性と地域性を背負った肉体はそのときどきで別の顔をわれわれに見せてくる。それは強いられ、余儀なくされて生み出されたものであったり、抵抗の中から生み出されてきたものであったり、あるいは無自覚、無意識的なものであったりさまざまであるが、現実に提示された肉体から、われわれは出来事の歴史を、社会の現実を想像することもできる。そして、われわれの課題である。それを繰り返そう。21世紀初頭の身体表象を特徴づけるものは何か。芸術作品はそれをどのように表象しているか。演劇、ダンス、美術、音楽、スポーツ、文学、いや、国会、車内、街頭、酒場、何でもいい、どこでもいい、21世紀初頭のいまを身体的な現象を通して読み解くことが出来るならば、素材は何でもいい。奇抜な命名、事例、大歓迎です。ということで、皆さんの原稿をお待ちしております。(おおとり ひでなが)
【イベント後記】
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鴻英良 Hidenaga Otori
1948年、静岡県生まれ。東京工業大学理工学部卒。東京大学大学院修士課程ロシア文学専攻修了。
著書に『二十世紀劇場 歴史としての芸術と世界』、共著に『反響マシーン リチャード・フォアマンの世界』『野田秀樹 赤鬼の挑戦』、翻訳に『死の演劇』『サクリファイス』『映像のポエジア 刻印された時間』 など多数。
佐々木敦 Atsushi Sasaki
撮影=新津保建秀
1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動。著書に『成熟の喪失』(朝日新書)、『「教授」と呼ばれた男』(筑摩書房)、『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『批評王』(工作舎)、『新しい小説のために』『それを小説と呼ぶ』(いずれも講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、小説『半睡』(書肆侃侃房)など多数。