ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第4期#1導入

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ゲンロン批評再生塾も、ついに四期目を迎えることになった。
すでに修了生の数は百名を越えており、総代のみならず各界で書き手として活躍を始めている者も多い。
三期やってきての成果はどうかといえば、立ち上げ当初の期待と不安を思い起こせば、まずは上々と言ってよいのではないかと思う。
だが、もちろん、まだまだ足りない。
そもそもこのプログラムは、私たちが仮に「批評」と呼んでいる営みと試みを「再生」することが目的だった。
そのためにはむろん「批評」とは何であるのか、何であり得るのか、何であるべきなのかを、あらためて問い直すことが必要となる。
そのうえで、その「批評」なるものを再び生み直すことを求めてきたわけである。
それは「再生」だけでは駄目なのだ。
第一、そもそも「批評」は過去においても十分な意味と意義を持っていたことがあっただろうか?
「批評」は、存分に生きていたことがあっただろうか?
影響力のある批評家は確かに何人かいた。それらの人物たちを繋ぐ星座のような批評の世界/業界も存在していた。
しかし、そんな星座を再び描き出すこと、すなわちかつて「批評」がそうであったとされる姿に戻すことが私たちのしたいこと、するべきことなのだろうか?

それは違う。

そうではなく、私たちは今こそ「批評」を誕生させなくてはならない。
再生とは、新たなる生誕なのだ。
「批評」という行為には、まぎれもない歓びと愉しみがある。
だが、それと同じくらいの苦しみや厳しさもある。
「批評」とは、一言でいうなら「世界に臨む姿勢」のことである。
批評家は、世界に対して投げかける自らの言葉を研ぎ澄まし、磨き上げる、
それは同時に、世界に対して責任を負うことでもある。
「批評」の名のもとに、私たちが行なうのは、それぞれがごく小さなことかもしれない。
だが、それらはいつのまにか、私たちの生そのものにかかわってくる。
なぜなら、生きることは思考することであり、思考することこそ「批評」の別名であるからだ。
つまり「批評」の「再生」とは、思考の再生でもあるのだ。
何かについて考えること、それ自体に宿るポテンシャルを発見し、掴み出し、押し広げること。
それは世界を押し広げることでもある。

批評再生塾は、単なるライター講座とはまったく違う。
思考すること、考えることを、あらためて問い直すレッスンなのだ。
だからこれまで一度も批評を書いたことがない者にも、広く門戸は開かれている。
世界への好奇心、思考への欲望さえあればいい。
私たちは、あなたがたを、待っている。

ゲンロン批評再生塾主任講師
佐々木敦

【批評再生塾第3期最終講評会の様子はこちら】

 


佐々木敦+東浩紀編著『再起動する批評 ゲンロン批評再生塾第一期全記録』(朝日新聞出版)

 

【イベント後記】

 

当日のtweetのまとめはこちら

togetter

 

 

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ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 – ゲンロンスクール

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佐々木敦 Atsushi Sasaki

撮影=新津保建秀
1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動。著書に『成熟の喪失』(朝日新書)、『「教授」と呼ばれた男』(筑摩書房)、『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『批評王』(工作舎)、『新しい小説のために』『それを小説と呼ぶ』(いずれも講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、小説『半睡』(書肆侃侃房)など多数。

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放送開始
2018/06/14 19:30
タイムシフト視聴終了
2018/06/21 18:00