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ウラジーミル・ソローキンインタビューの一部、および東浩紀による事前質問状、モスクワ取材写真レポートを本サイトで特別限定公開しています!
【イベント概要】
モスクワシティにて
2014年3月、東浩紀がモスクワへ飛んだ。作家ウラジーミル・ソローキン、キュレーター・マラート・ゲリマンに会うためだ。本来はチェルノブイリツアーのオプションだったはずのこの取材、しかし、学生のころドストエフスキーとタルコフスキーにはまり、「ソルジェニーツィン試論」でデビューした東にとってロシア文化には独特の愛着がある。
ソローキンはロシアのポストモダン作家。文体や筋のパターンを縦横無尽にあやつり、猥雑かつエレガントなロシア語で小説世界を展開することで知られる。『ロマン』『青い脂』『親衛隊士の日』等邦訳が複数あり、2013年10月に刊行した新作『テルリヤ』は最高傑作として高く評価されている。いまロシア文学で最も注目される人物。
他方でゲリマンは、日本ではあまり知られていないが、ロシア現代美術に市場原理を取り入れ、グローバルな流通を可能にしたキーマン。シャープな切り口のキュレーションのみならず、ネット上で情報ポータルを立ち上げ、ロシア現代美術の国内外での認知に大きく貢献している。2008年にペルミで開催した「ロシアの貧しいもの」展は、市の美術展の月間集客記録を更新し、まもなく会場の建物が市立現代美術館となり、ゲリマンは館長となった。
そんな二人と東はどんな議論を交わしたのか。保守強権のプーチン政権下のロシアで、文学やアートはいかにして自立と批評性を保っているのか。
昨年10月に来日したソローキンのインタビューおよび新作の抄訳は、市川真人が編集長を勤める『早稲田文学』に掲載された。市川は2013年11月のチェルノブイリツアーにも参加している。スラヴ世界の空気を肌で感じた市川に、モスクワ取材に同行したロシア文学者の上田洋子も加わり、取材動画を交えながらロシア文学、美術の最先端を独自視点で報告する。
■
ウラジーミル・ソローキンインタビュー 一部特別公開
〈プーチンのロシア〉と〈ユートピアの死〉のあとの文学
聞き手 東浩紀
通訳・翻訳 上田洋子
2014年3月8日 モスクワ ホテル・ヒルトン・レニングラーツカヤにて
東浩紀:
僕は3.11以降新しい出版社を作り、3.11の後に日本社会は大きな変貌を遂げようとしている中で、文学や芸術に何ができるかということについて新しい本を作ろうとしています。日本社会は新しい未来への希望を失いつつあるのですが、その中で文学と未来、文学と理想の関係の可能性を改めて考えようと思っています。
ソ連はある意味でユートピア国家であり、文学は理想や未来を描いていた。ユートピアが死んで20年が経ちましたが、そうした中で第一線を走っているソローキンさんに、ユートピアや理想が死んだ後に文学は何ができるのかについて、お話を伺おうと思ってやってきました。
ウラジーミル・ソローキン:
東さん、思いがけない質問です。この20年間のロシア文学はほとんどアンチ・ユートピア小説で、しかもかなり悲観的なのです。私の本ですらも、文芸批評家の主な批判は「あなたの本はかなり重苦しい未来を描いている」というものです。とはいえ、文学が人々に対してなにより助けとなる点は、いかなる場合にも真実を語るところではないでしょうか。未来についてもね。
もうひとつ、警告として機能するアンチ・ユートピアがありますよね。例えば私の本『親衛隊士の日』がそうで、この本が出たときには、多くの人が警告のようだと言いました。こういうことが起こって欲しくないと。友人のある歴史家は、「きみはまじないのような本を書いた」と言った。アルカイックな社会では、病気や死をまじないで回避したりしますよね。この友人の考え方が私には気に入った。
けれども10年、いやそんなには経っていないかもしれませんが[『親衛隊士の日』は2006年刊]、この同じ歴史家が私に「ウラジーミル、あれはまじないではなく、予言だった」と言った。彼は「プーチンが君の本を読みすぎたようだ」とも言いました。
つまり、文学は読者に甘いキャンディを与えるのではなく、苦いキャンディを与えるべきだと私は思います。
日本人は非常に辛抱時強い民族で、大変な困難にも耐えることができる。だから日本では文学が必ずしも麻薬である必要はない。文学がなくても耐えられるでしょう。
文学は文学がなすべきことをやらなければならない。
あなたの質問はとても重要です。私は現代日本文学をよく知らないので、ロシアのことをお話しします。ロシアでは未来についての作品がたくさん書かれている。そして過去についての作品も。けれども現代を描いた力強い大作は存在しないのです。その理由は、ロシア人が回顧と希望の間で引き裂かれていることです。
日本では状況が異なるでしょう。日本人は現在に対する感性がロシア人よりも強いのではないでしょうか。なぜなら日本は戦後、悪いものをすべて過去のものにして、未来に進むことができたからです。いっぽうロシア人はソ連という自分たちの過去を埋葬していないのです。だからソヴィエト帝国の死体が私たちの生活に横たわっていて、若い知性を堕落させ、毒している。ロシアは前に進むことができない。
他方、1960年代、私が少年だったころに、すでに日本の経済の奇跡について耳にしていました。だから正直うらやましい。
東:
確かに日本は1960年代に成功を遂げたわけですが、その成功は1990年代から2000年代にかけて大きな行き詰まりを見せています。逆に今の日本人は高度経済成長の夢が忘れられない、だから先に進めないという状況があって、今ソローキンさんがおっしゃったことと似たような状況にあるのかもしれません。また、日本では確かに現在のことばかりが文学で書かれていますが、それはあまりよいことではない。日本人は未来を描く、今ここにないものを召還するといったような文学の機能を忘れているというか、文学者が自信を失っているところがあると思います。
ソローキンさんは警告を発する、まじないの言葉を口に出すというのが文学者の機能だとおっしゃいましたが、そのときになぜ『親衛隊士の日』にしても『テルリヤ』にしても、未来のロシアを舞台にして、科学的で魔術的なSFを想起させるような、もしくはマジックリアリズム的な方法を使って表現しようとしているのでしょう。
ソローキン:
それには様々な理由があります。私はずっと存在しないものを描き続けてきました。それはロシア・グロテスクと呼ばれる伝統、ロシア幻想リアリズムと呼ばれるものの線上にあります。例えばゴーゴリですね。この話は長く展開することができるのですが、ごく簡単に言うと、私が私を取り巻く世界に満足していないということなのです。
だから私は存在しない世界を描いている。
東:
僕は『親衛隊士の日』はとてもとても面白いと思いました。早稲田文学に掲載された『テルリヤ』の章も面白かった。これらはアンチ・ユートピア小説なのですが、とはいえ、もともと「ユートピア」という言葉は「場所がない」という意味で、ユートピア小説は批判的に別の世界を想像するということで書かれている。その意味ではソローキンさんはすごく21世紀的なユートピア小説というものを、ロシアのファンタスチカの伝統の上で、今、作っていると思いました。
で、今この世界に満足しないので別の世界を夢見るというのは、確かにすべての文学が持っている方法だと思うのですが、そこでユートピア小説の再構築という方法をソローキンさんが選んでいることに僕は関心を持ったんです。だからその理由を知りたい。
別の言い方で言えば、ソローキンさんにとって未来を考えるということはどのような意味を持っているのでしょうか、という質問です。
ソローキン:
この質問は別の質問につながると思います、つまり、私にとって文学とは何かという質問です。
ソローキンにとって文学とはいったい何なのか? その答えは会場で明かされる!
■
東が事前にソローキンおよびゲリマンのために用意した質問状は以下のとおり。
(1)
福島原発事故があって日本でもアーティストがさまざまな応答を出している。ただし、被災地が近いこともあり、文学/美術表現が被災者を傷つけることをとても警戒している。そのため表現が萎縮している。
(1-a)
ロシアでも似た状況(文学/美術が一般市民を傷つけること)があるか。
(1-b)
そのとき作家/美術家はどのような対応をすべきだと思うか。またロシアではどのような対応が見られるか。
(2)
日本では現代美術の影響力がきわめて限定されており、社会的な問題喚起の力(批判性)を失っている。その背景には「政治的な正しさ
political correctness」の台頭がある。文学/美術とは伝統的に、「いまここ」の現実を反映するものであるとともに、「いまここには存在しないもの」(神、理想、未来社会)を幻視するものであったが、いまの日本では、文学/美術が「いまここ」の政治に縛られ、「いまここには存在しないもの」を描くことが難しくなっている。
(2-a)
ロシアでも似た状況(神や理想を描けない)があるか
(2-b)
そのとき美術家はどのような対応をすべきだと思うか。またロシアではどのような対応が見られるか。
(2-c)
ロシアは伝統的に「いまここには存在しないもの」が強い国である。ロシア正教だけではなく、共産主義もまた理想を追い求めた時代だった。対して資本主義はきわめて現実的であり、イコノクラスト(聖像破壊)的だ。共産主義から資本主義への変化は、ロシアの現代美術にどのような影響を与えたか。
(3)
日本ではユートピア(未来社会)への想像力はすっかり失われている。それはハイカルチャーだけではなく、サブカルチャーでも同じである。20年ほどまえまでは、SFも強く、アニメでも未来社会が舞台になった作品が多かったが、現在はリアリズムが強い。日本人は、未来に対して関心を失ってしまったかのようだ。
(3-a)
ロシアの文化(現代文学/美術に限らない)ではユートピアは有力なテーマか。
(3-b)
そこでユートピアはどのようなものとしてイメージされているか。
ソローキンとゲリマンがこれらの質問にどのように答えたのか、それは日本の文学/美術の今後を占ううえでも重要なものになるだろう。
■
2014年3月ゲンロンモスクワ取材写真レポート
ゲリマンのギャラリー「カルチャー・アライアンス」ではサンクトペテルブルクのアーティスト、ウラジーミル・コージンの「親愛なるファベルジェ」展がオープンしたばかりだった。下はピカソの「ボールに乗る軽業の少女」へのオマージュ
イスラム系女性アーティスト、アイダン・サラホワのセクシュアルな展示。アイダン・ギャラリーにて
巨大ショッピングモールも見学
「漫画喫茶」という名の「スシカフェ」
食文化もゆたか
変なビルにも事欠かない
コローメンスコエのユネスコ世界遺産、主の昇天教会は1532年に建てられた
左手奥にクレムリンが見える
市川真人 Makoto Ichikawa
1971年東京生まれ。文芸批評家・雑誌「早稲田文学」プランナー/ディレクター・早稲田大学文学学術院准教授。TBS系情報番組「王様のブランチ」のブックコメンテーター等も務める。ゲンロン友の会会報『ゲンロン通信』にコラム「賭博:夢:未来」を連載中。著書に『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか』(幻冬舎新書)、『紙の本が亡びるとき?』(青土社)など。
東浩紀 Hiroki Azuma
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。
上田洋子 Yoko Ueda
撮影=Gottingham
1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。