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〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉の講義を生中継します。
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「講評」部分については、タイムシフトを公開しません。あらかじめご了承ください。
【課題】
私は、おそらく皆さんの目指す方向とは異なる、“慌ただしい”物書きです。朝、新聞を広げて「それはないだろう」と苛立ったことを昼間に書き、夕方に公開されることすらあります。でもそれは、何がしかの対象を批評する姿勢として、まったく自然で開放的なことだと私自身は思っています。
今、目の前にある「状況」を捕まえる。捕まえて、私はこう思うと書く。眼前に広がる苛立ちや違和感の対象を突き詰める。ジャンルを問わずに、それを繰り返してきました。じっくり構えて機が熟すのを待っているうちにすっかり機が腐ってしまい、ごく近しい人たちだけが「なるほど、その手もあったか」と頷き合う批評は、不自然で閉鎖的だと感じてきました。
この講座でどういった授業が行われてきたかを熟知しているわけではないのですが、課題に取り組む際に、おそらく皆さんは、その講師が培ってきた・示してきた見識がどういうものであったのか、おさらいしてみたはず。今回ばかりは、そういう取り組みを一切排してもらい、皆さんの、今、目の前にある(それこそ、課題文を書く「その日」の朝に感じた)苛立ちを批評してほしいのです。
題材は何だって構いません。政治でも経済でも、生物学でも電気工学でも、本でも映画でも音楽でも。首相の浮ついた演説についてでも、首相の浮ついていない演説についてでも。週刊誌の下世話な見出しでも、友人の曖昧な態度でも、到着が2分遅れたことを駅員に詰め寄るサラリーマンでも。地元のスーパーで「1人1パック限定・産みたて卵・¥168」を、あろうことか2パック買おうとする誰かへの苛立ちが「民主主義の現在」に繋がっていくような「飛躍」については、各自にお任せします。
制約はひとつ。既存の文献や重層的な知識を足がかりに論を練り上げるのではなく、今、目の前にある苛立ちを足がかりに批評してください。行き着く先はどこでも構いません。当然、どこかに行き着かなくても構いません。
【イベント後記】
当日のtweetのまとめはこちら!
武田砂鉄 Satetsu Takeda
1982年生まれ。ライター・編集。2014年、出版社勤務を経てフリーへ。「cakes」「CINRA.NET」「SPA!」「文學界」「Quick Japan」「VERY」「SPUR」「ヘドバン」などで連載中。2015年、『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。2016年、第9回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。
佐々木敦 Atsushi Sasaki
撮影=新津保建秀
1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動。著書に『成熟の喪失』(朝日新書)、『「教授」と呼ばれた男』(筑摩書房)、『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『批評王』(工作舎)、『新しい小説のために』『それを小説と呼ぶ』(いずれも講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、小説『半睡』(書肆侃侃房)など多数。