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〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉の講義を生中継します。
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【課題】
ラカンはポーの「盗まれた手紙」についてのセミネールにおいて、次のように述べています。
「このように盗まれた手紙も女性の大きな身体と同様に、デュパンがそこに足を踏み入れたとき大臣の事務室のなかいっぱいに身を横たえていたのです。しかし、すでにそのようなものである以上彼はそこでこれを発見することを予想をしていましたから、ただ緑の色眼鏡に保護された視線によってこの大きな身体の着物を脱がせればよかったのです」
部屋一杯に横たわる女性の身体。言うなればこれこそが「社会」です。
私はこれまで『ひきこもり文化論』『心理学化する社会』『ヤンキー化する日本』といった著作において、社会学「的」視点から日本や社会を論じてきました。そこで意図したのは、誰の目にも入っているがゆえに見えなくなっている状況を、ひとつの偏見(「緑の色眼鏡」)を通じて可視化することでした。それゆえ「言われてみればその通り」という感想がそれぞれの本に対して寄せられたことを持って、私の意図はそれなりに成功したものと考えています。
「現代」はしばしば「混沌」で「ボーダーレス」で「アノミー」であると形容されがちです。しかし見方を変えれば現代にあっては、ある種の「単純化」や「純粋化」にみえるような変化に気づかされることも少なくなりません。
これまで「〜化する社会」の「〜」には、すでに「カーニバル」、「感情」、「中身」、「エヴァンゲリオン」、「スマート」といった多くの概念や名詞があてがわれてきました。
批評再生塾の皆さんにはぜひとも、まったく新しい「〜化」を批評的視点から指摘していただきたいと思います。
私の考えでは、批評の重要な機能として、作品でも状況でも何でも良いのですが、そこに全く新しい価値と意味を発見ないし付与することがあります。それゆえ「社会の〜化」を見出す視線は、必然的に批評的なものとならざるを得ません。皆さんの若い視点から、これまで誰も発見したことのない「〜化する社会」を見つけてください。
ちなみに、私自身がこの種の本を書く際の論の進め方を参考までに述べておきます。
① まず象徴的事象をひとつ提示する。これを発端として「〜化」の仮説をぶち上げる。
② 仮説を補強するような関連事象、類似の事象を複数列挙する。ここでどういう具体的な事象を選ぶかで、その論の説得性が決まる。
③ 例外的な事象や、仮説の反証になりそうな事象をあえて取り上げ、それらも実は「〜化」に深く関わっているということを示して論点を補強する。
④ ここまでは印象論で進めても良いが、ここから先はそうした印象をもたらした構造的要因について詳細に論ずる。私の場合はここで精神分析の手法を応用することが多いが、どういったツールで構造解析をするかは自由。
【イベント後記】
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斎藤環 Tamaki Saito
1961年、岩手県生まれ。1990年、筑波大学医学専門学群環境生態学卒業。医学博士。爽風会佐々木病院精神科診療部長(1987年より勤務)を経て、2013年より筑波大学社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理、および病跡学。著書に『「自傷的自己愛」の精神分析』(角川新書)、『映画のまなざし転移』(青土社)など。2013年、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川書店)で第11回角川財団学芸賞を受賞。2020年、『心を病んだらいけないの?』(與那覇潤との共著、新潮社)で第19回小林秀雄賞を受賞。
佐々木敦 Atsushi Sasaki
撮影=新津保建秀
1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動。著書に『成熟の喪失』(朝日新書)、『「教授」と呼ばれた男』(筑摩書房)、『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『批評王』(工作舎)、『新しい小説のために』『それを小説と呼ぶ』(いずれも講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、小説『半睡』(書肆侃侃房)など多数。