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〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉の講義を生中継します。
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【課題】
テーマ(課題)
21世紀における芸術家、批評家の使命とは何か、人類の歴史を概観しつつ、その文化的、芸術的、政治的・経済的活動の世界史的な構造を明らかにすることを試みつつ、そのことについて具体的事例をあげつつ考察せよ。
テーマを巡る雑感
現在のローマ法王フランチェスコは、われわれはすでに第3次世界大戦の最中にいると幾度も言明しています。私もローマ法王がこのように言明する前から、われわれは第3次世界大戦のただなかにいるのではないかと考えていました。それは、ウクライナ上空でマレーシア航空機が撃墜されたあとでの様々な国際政治的な展開を見ながら私が考えはじめたことでした。撃墜によって300人近くの人が殺されたのに、撃墜したのが誰か、ロシア軍なのかウクライナ軍なのか、あるいはそれ以外の国、組織による陰謀なのか、そういうことはすべていまだにうやむやのままです。そのことを明らかにしようとする試みはいっさい立ち消えになりました。これは異常なことです。
もうひとつ、それはイスラム国に関わる問題です。イスラム国のメンバーが主張している女性蔑視的な発言、あるいはイスラム国に反対する者たちを次々に処刑していくというイスラム国の政策を私は支持することはできませんが、彼らの活動によって露呈したことはきわめて重要だと私は考えています。それは国境線への懐疑です。アラブ地方における国境線は、ヨーロッパの帝国主義国家が人工的に引いたものです。それはその地域の文化的な歴史と一切関わりがありません。たとえば、アルメニア、トルコ、イラクにまたがり住んでいるクルド人たちは、トルコからもイラクからもアルメニアからも自らの国家をつくることを許されることなく差別的な待遇を受け続けています。それは植民地主義的帝国主義者たちの引いた国境線を、いまはトルコ、シリア、イラクなど、民族主義的な国家が守ろうとしていることと関係があります。きわめて矛盾した構造の中にアラブ世界は封印されていたのです。そこにイスラム国が登場しました。
国境線の融解、それを推し進めようとしている点に関してだけは、イスラム国の活動は正しいのです。もちろん、そのことだけによってイスラム国を支持することはできません。
ところで、似たようなことがロシア周辺に起こっていることは確かです。クリミア半島をウクライナから奪還したロシアが、いま改めて東ウクライナをも奪い返そうとしていることは事実です。これが今後、どのように展開していくのかにわれわれは注意を向けなければなりません。ところが、多くの人が、ロシアが西ウクライナを奪還しようと思うことは決してないということに気づいていないということは問題です。なぜロシアは東ウクライナだけを取り戻そうとしているのか。なぜ西ウクライナには介入しようとしないのか。なぜなら、そこには過酷事故を起こしたチェルノブイリ原発があるからです。
チェルノブイリはいらない。これはグローバル金融資本主義の戦略です。経済的に割に合わない。プーチンはそう考えたのです。見捨てられたウクライナ。しかし、東ウクライナはロシアのものだ、これがプーチンらの思惑であり、それゆえ領土の争いは、これからさらに激しい形で、グローバル金融資本主義の跳梁の中で経済原則をもとに展開されるでしょう。
このような現象が、第3次世界大戦の現象形態なのだと私は考えているのです。
こうしたことと、イギリスのEUからの離脱、アメリカ大統領にトランプが選ばれたこととどのような関係にあるのか、われわれはそうしたことについても考えなければなりません。これは複雑な問題です。
マレーシア航空機の撃墜からトランプ現象まで、それらの現象をどう読み解くか、このような試みこそが、芸術活動においては、少なくとも演劇においては、古代ギリシア以来、芸術家と観客・批評家に託されていた使命でした。ギリシア悲劇はアテナイにおけるポリスをいかなる社会として作り上げていくべきか、戦争が起きたときにどのように対処したらいいのか、そのことを考えるためのヴィジョンを構想するために上演されていたのです。あるいは、アリストパネースのコメディアは、いまのギリシアのポリスがどのようになっているのか、それを分析するための場として機能していました。芸術の、あるいは演劇のそのような機能をわれわれは取り戻すべきなのかどうかも含めて批評家になろうとする人たちは考えなければならないでしょう。
あなた方は、このような問題についてどのように考えますか。
そのことについて、具体的な作品、批評文を引用しながら、批評的な言説を作り上げることを試みてください。
私は演劇批評家なので、対象については、演劇、ダンスであれば助かりますが、美術、文学でもかまいません。政治、経済、文化論とのかかわりでも構いません。ただし、私は漫画、アニメ、音楽に関しては、まったくの無知なので、そのような分野における批評的な発言、コメントは出来かねますので、その辺はご配慮ください。
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補足
もうひとつ、私がいま考えているのは、テーマでもあげましたが、芸術活動に対する世界史的な考察ということです。そのような視点からいま演劇の世界史的考察と言った著書を執筆中です。
その手掛かりとなるような手がかりを探る私の論文が、つい最近出版されたキャサリン・ブリス・イートンの『メイエルホリドとブレヒトの演劇』(谷川道子、伊藤愉訳)という翻訳本(玉川大学出版)に載っています。それを読んでくれれば幸いです。
また、私は、2015年、「鴻英良による挑発と洗脳のための猿の演劇論」という講座を芝浦ハウスにおいて1年にわたって行ってきました。この記録が2017年秋に出版される可能性が出てきましたが、その概要はすでにネットで読むことができます。私が最近考えていることがここに表出されています。
それではみなさん、冬の寒空のなかですが、12月26日、午後7時30分、五反田川畔のゲンロンカフェでお会いしましょう。
(おおとり ひでなが 演劇批評家)
【イベント後記】
当日のtweetのまとめはこちら!
鴻英良 Hidenaga Otori
1948年、静岡県生まれ。東京工業大学理工学部卒。東京大学大学院修士課程ロシア文学専攻修了。
著書に『二十世紀劇場 歴史としての芸術と世界』、共著に『反響マシーン リチャード・フォアマンの世界』『野田秀樹 赤鬼の挑戦』、翻訳に『死の演劇』『サクリファイス』『映像のポエジア 刻印された時間』 など多数。
佐々木敦 Atsushi Sasaki
撮影=新津保建秀
1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動。著書に『成熟の喪失』(朝日新書)、『「教授」と呼ばれた男』(筑摩書房)、『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『批評王』(工作舎)、『新しい小説のために』『それを小説と呼ぶ』(いずれも講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、小説『半睡』(書肆侃侃房)など多数。