10周年特設ページ

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2023年2月、ゲンロンカフェはオープン10周年を迎えました。
ご登壇者の方々、そしてご来場あるいはインターネット配信を通じて
ご覧いただいている観客のみなさまに厚く御礼申し上げます。
10周年を記念し、オリジナルグッズを製作したほか、
過去にご登壇いただいた方々からお祝いのメッセージもいただきました。
ゲンロンではさまざまな記念事業の展開を予定しています。
今後の活動にもご期待ください。
2023年2月、ゲンロンカフェはオープン10周年を迎えました。
ご登壇者の方々、そしてご来場あるいはインターネット配信を通じてご覧いただいている観客のみなさまに厚く御礼申し上げます。
10周年を記念し、オリジナルグッズを製作したほか、過去にご登壇いただいた方々からお祝いのメッセージもいただきました。
ゲンロンではさまざまな記念事業の展開を予定しています。今後の活動にもご期待ください。
10周年によせて
東浩紀コメント
上田洋子コメント
10周年記念グッズ
10周年記念サコッシュ
10周年記念ステッカー
登壇者からのメッセージ
浅子佳英

ゲンロンカフェの構想はぼくがまだゲンロンにいた頃にあった。当初は路面に面した場所でカフェや書店として日銭を稼ぎつつ、イベントでも集客を見込むというビジネスモデルだったと記憶している。それが五反田の雑居ビルの6階になったことで、全く違うかたちへと変貌を遂げ、コロナ禍さえも乗り越えて10年間持続することになった。シラスもゲンロンカフェがなかったら存在しないだろう。
「五反田の雑居ビルの6階」東京でもこれほどどこにも所属していない場所はなかなかない。そう、ゲンロンカフェは持続するインディペンデントという奇跡を起こしたのだ。
10周年おめでとうございます!!

安達真

UEIのshi3zさんにつれられて伺った五反田の怪しいビルで、面白そうな人たちが面白そうなことやってるなぁ、なんて思ってたときからはや10年。まさかこんなに密に関わらせていただくとは思ってもおりませんでした。
メディアのありようが変わっていく中で、まさにそのド真ん中の主戦場をともに戦わせていただいていることに深く感謝しております。

飴屋法水

人間が、人間らしく、少しでも明るく生きるとは、いったいどんなことなんだろう? そのとき人が知をほんとうに求めてるなら、それはどのような知なんだろう? ゲンロンが挑み続けて来た10年間を、その「知の民営化」の実践こそを、僕は強く、強くリスペクトしてる。

飯田泰之

自由な言論活動のためには無料ではない仕組みが必要だ.
マスメディアを経由した無料だが自由ではない発信を,発信者自身の手に取り戻した自由だが無料ではないゲンロンカフェのこれからの10年に期待します.

五十嵐太郎

専門家のためだけの学会でもない、一方的にしゃべる講演会でもない、外部に閉ざされた勉強会でもない、厳密に終了時間が決まった座談会やシンポジウムでもない。むしろ飲み屋に少し近いような雰囲気で、好きなように語ることができるのが、ゲンロンカフェの醍醐味です。出版不況が騒がれ、SNSは炎上で荒れるなか、昔は良かったとただノスタルジーに浸るのではなく、真面目な知の異種格闘技戦場が、五反田に誕生したのは未来への希望です。
個人的には、建築メディアで実現できなかった新国立競技場の回が印象に残ります。

石田英敬

ゲンロンカフェ10周年スゴいです! コロナ危機にあっても閉塞状況に抵抗し、発信をつづけて、思想を活性化しつづけてきた。シラスの放送を軌道にのせてますます発信力をたかめ、関連出版も次々と受賞など、めざましい発展をとげてきましたね。東さん、上田さん、そしていつも元気で若々しいスタッフの皆さんのダイナミズムですね。五反田の地に誕生した文化の自立の場所に乾杯! 私も応援しています。

石戸諭

ゲンロンカフェは単なるイベントスペースではない。登壇した者同士が、あるいはかつての観客が登壇者になって、互いに刺激をしあい、成長を促す場へと変貌した。議論はただ交わされるだけでは力になり得ない。ここに交差したすべての人々は、未来を切り開くクリエイションを生み出す力を秘めている。僕もまた、たった10年でその可能性を信じる側に変わった。

伊藤剛

もう10年! いや、東日本大震災の直後からだから12年なんじゃ?
と思い、短いようで記憶の錯誤が起きるには十分な時間が経ったとあらためて思いました。この錯誤は、この十年という時代のとらえにくさを象徴しているのかもしれません。ゲンロンカフェの多岐にわたる活動も、その「とらえにくさ」に素直に取り組んできた(「素直に」という語が適切なように思います)ものではないかと思っています。貴重な場です。今後もますますの繁栄を祈念しています。

宇野重規

ゲンロンという場は、とても貴重なものだと思う。ゲンロンカフェはその中核だ。さまざまなメディアが発展した現在、誰もが自由に自分の考えを発信し、議論を交わすことができるはずだが、実際はそうでもない。結構不自由なのだ。ゲンロンは小(失礼!)なりとて、自主独立の場を守っている。五反田の地にあって、ここではいつでも面白い議論が展開されていると思える、そんな場であり続けてほしい。

大井昌和

ゲンロン10周年おめでとうございます!
10年前、自分はカフェの開店した直後のイベントを見に行き、こんな世界があるのだと感激したのを覚えてます。
そしてカフェで行われるお話を聞きながら見よう見まねでニコ生で放送を始めたり、さやわかさんのひらめき☆マンガ教室をきっかけにカフェに登壇させていただいたりと、ゲンロンカフェさんの10年という時間は、自分はいろんな体験をいただきました。
改めて10周年おめでとうございます!

大森望

10周年おめでとうございます。思い起こせば、2013年に3回連続のSF講義を担当したのが始まり。連続トーク「大森望のSF喫茶」は30回を超え、作家はもちろん、声優、アイドル、ミュージシャン、お笑い芸人など多彩なゲストをお招きしました。すぐ終わると思った「ゲンロン 大森望 SF創作講座」はもう8年目。五反田が日本SFの中心になる日も近い!? その日まで、老骨に鞭打って五反田に通い続け……られたらいいなあ。

大山顕

芸術家や文人が集まって時代をつくったと言われるサロンやカフェが、歴史上いくつかありますが、ゲンロンカフェはまちがいなくそのひとつとして語られるでしょう。こんな場所、ほかにないよ。しかもそれが10年も続くなんて!
いまのぼくがあるのはゲンロンカフェのおかげ。ありがとう。おめでとう。そして今後ともよろしく!

小川哲

ゲンロンカフェ10周年おめでとうございます。トークイベントやSF創作講座で何度もお世話になりました。
「こんな話をしても伝わるかな」「興味あるかな」と不安になるような抽象度の高い話でも、ゲンロンのイベントでは喜んでくれる方が多く、いつも楽しく、気楽に登壇させていただいています。
今後も20年、50年と続けていき、100周年をメカ東浩紀とメカ大森望と共にお祝いしたいです!

小川さやか

開業10周年おめでとうございます。時間を設けず(延長戦ができて)じっくり議論できる場は貴重で、いろんな意味で衝撃的な体験でした。次の10年はどんな未来になるのだろう。でもきっと人間を創る場はますます大事になるに違いない。ゲンロンカフェが30年後に、あの時あの場で未来が拓かれたという場になることを信じています。

鹿島茂

いまの日本の大学は卒業証書と金銭の等価交換の場になり果てています。教師は教育・研究も「しなければならない」、雑務に明け暮れる「校務員」にすぎません。
対するに、ゲンロンカフェ・シラスは校務なしで、それも自分がやりたい授業だけを、原則、制限時間なしで行える、教えることが大好きな教師にとって天国のようなトポスです。
もし日本の教育に未来があるとするなら、それはゲンロンカフェ・シラスにしかないでしょう。

桂大介

ゲンロンカフェに初めて足を運んだのは2016年。当時のぼくは人文学もゲンロンの活動もろくに知らない、ただ一人の観光客でした。そんな観光客はその後もたまにカフェを訪れ、チェルノブイリツアーに参加し、今ではシラスを立ち上げるまでになりました。カフェの議論はいつも白熱してディープなのに、どんな人でも気軽に訪れることができる。そんな奇跡的な両立が、ぼくの人生を変えました。10周年にお祝いと感謝を!

隈研吾

ゲンロンカフェという風通しのよい場所で、東浩紀さんという批評家と語り合うことで、自分が設計しているものとこの社会とがどうつながり、どう関係しているのかを確認することができた。それは建築家という閉じたコミュニティから僕を解き放ち、僕を自由にしてくれた。

小松理虔

酔い、語り、食らい、笑い、考え、話を聞いて悩み、また語りあう。そしてそのほとんどを忘れて、ちょっとばかりの頭痛と、「いい時間」だけが残る。知のサードプレイス。ゲンロンカフェ開業10周年、おめでとうございます!

サエボーグ

航宙日誌20230113、ゲンロンエンタープライズ号の皆様、航宙10周年おめでとうございます!
思想は人類最後の開拓地であります。貴艦のご使命、オルタナティブ銀河の探索、こちらS56銀河より応援しております。
長寿と繁栄を!!

さやわか

ゲンロンカフェが素晴らしいのは、登壇者も、観客も、どうかすれば存在を認識したこともない人同士と、長時間をおしゃべりに費やすことだ。それに尽きる。考えの違う人や、立場の違う人、思想信条の違う人たちが、一堂に会して、ああだこうだ言ったり、他人の言葉に耳を傾けたりする。それに尽きるのだ。ここが10年維持されたことには、こういう場所が失われてはいけないという信念を感じる。祈りや願いを感じる。「ネットの時代だからこそ、リアルの場所が重要だ」なんて、今や、誰もが言う。だがその言葉に、ゲンロンカフェが頑なに抱き続けたこの願いがどれほど込められているだろうか。驚くべきことだが、このカフェは、そういう言葉が囁かれるようになった初期から、他所を尻目にその理想を抱いていたのだ。この理想を守り続けてくれたことは、僕にとっても希望です。どうか次の10年も、希望であってください。10周年おめでとうございます。

清水亮

10周年おめでとうございます。会社が10年存続する割合は5%以下と言われていますが、当然のように今もゲンロンカフェが健在であることを嬉しく思います。ゲンロンカフェを通じて僕自身色々な出会いがありました。一生の友とも呼べるような出会いもありました。ここで生まれ、そしてこれから生まれるであろう数々のドラマのことを思うと胸が熱くなります。これからも日本の言論の爆心地としてのご活躍を応援しています

武富健治

今、世の中の多くは、転輪聖王となり自分の思う正義や快適を基準にしてすみからすみまでをくまなく照らし塗りつぶそうとするが、ゲンロンは、ブッダのごとく限られた自分たちの場所(アジール)を塗りつぶしから守ろうとする風情がある。そこが信用できるし好きだ。これからも引き続き、理不尽で息苦しい愚かな世界にうんざりした時、心を休ませてくれる聖避難所であり続けて欲しい。

辻田真佐憲

ゲンロンカフェは、二冊目の拙著『日本の軍歌』の担当編集者と出会った場所です。私にとっては、著述業を広く展開する大きなきっかけとなりました。リアル空間にひとびとが集まるからこそ、こういう交流もある。今後も表現者がつながりをつくり、そして仕事を広げる、そんな文化の孵卵器であることを切望してやみません。

中島隆博

ゲンロンカフェ10周年、おめでとうございます。これほどまでに密度の高い議論のプラットフォームは日本にはそうあるものではありません。しかも参加者の方々が随時意見を書き込んで、このプラットフォームをともに豊かなものに作り上げてくださっているのは、デモクラシーの根幹に関わる実践でもあると思います。関わった方誰もが、この数時間を経て、予想もしなかった新しいあり方に変容することも、このプラットフォームの魅力です。今後の益々のご発展を祈念しております。

夏野剛

SNSで誰もが気軽に意見表明ができるようになった現代において、時に議論ではなく言いっぱなしの意見表明や誹謗が溢れる中、きちんとした言論の場を用意することはどんどん難しくなっている。ゲンロンカフェはそのような時代において、建設的な議論とリスペクトを前提とした意見の違いの表明の場を提供し続けてきた。それを主宰し続けるあずまんと上田さんに最大級の敬意を表します。ありがとう。

西田亮介

「十年一日」とはいったものの、昨今の言論、出版を取り巻く環境を思い起こすと、ただ感嘆するのみならず、関係各位のご尽力と、表にはあまり見えてこないであろう実は細やかで丁寧な登壇者に配慮したお仕事ぶりにいつも頭が下がります。その場で長く仕事させていただいてきたことに改めて感謝するとともに、ますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。

速水健朗

朝近くまでトークをして、いく度、五反田の朝日を見ただろう。新しいことをするゲンロンカフェも、古いことをするゲンロンカフェもどちらもいいと思います。次にめざすべきは20年、いやその前に11周年も大事!

樋口恭介

言論という、広報でなければ広告でもなく、何かの設計書でもなければ契約条文などでもなく、かと言って芸術であるわけでもない、役に立つのか立たないのか不明なままに、どこへ向かうかわからない混沌とした力だけは持て余した怪物を、殺すでもなく利用するでもなく、単にあるがままにそこに存在させようと試み続け、そして実際に存在させ続けたという事実を顧みたとき、ここに去来する心象を描写するには驚嘆や賞賛や畏敬という言葉ではまったく足りず、今の私はひとまずここで筆を置くほかありません。10周年、本当におめでとうございます!

久田将義

10周年、おめでとうございます。東浩紀さん、スタッフの皆様に拍手です。またシラスという新しい試みなど「挑戦と持続」を続けていくのはさぞかし難しいと思いつつ、傍から感心しています。東さんと話す時は僕が大学生、東さんがゼミの教授のような立ち位置になり話が尽きません。またお話出来ればと思います。

古市憲寿

ゲンロンカフェ10周年おめでとうございます。同じ時代に東浩紀さんがいること、ゲンロンがあることを、とても心強く感じます。特にこの3年間はその思いを強くしました。人々や思想の移り変わりを見るに、10年という歳月は本当にすごいですよね。しかもあの東さんですよ。ゲンロンという場所と仲間を築き上げた方々に、たくさんの感謝と尊敬を込めて。

星野博美

初めてゲンロンカフェを訪れたのは2015年4月。東さんにお会いしたのはそれが初めてだったが、こんな自己紹介をした。「ノンフィクションやっていて、五反田のこととかも書いています……」他の人にとってはともかく、大五反田人である私にとってゲンロンカフェの誕生は、大袈裟でも何でもなく、五反田の新たな歴史の一頁だった。五反田に来てくれてどうもありがとう。ゲンロンカフェは地元の誇りです。10周年おめでとう!

本田晃子

ゲンロンカフェ10周年、おめでとうございます。
2015年の初登壇からほぼ毎年ゲンロンカフェに呼んでいただき、さらにはβや本誌にも寄稿させていただいてきました。ソ連というもう存在しない国の、しかも半分くらいはアンビルトに終わっている建築というウルトラ・ニッチな研究をこんなにも受け入れてくださるのは、ゲンロンさんくらいではないでしょうか(笑)
2023年はこれまでの連載を書籍化予定ですが、今後とも末永くどうぞよろしくお願いします!
三宅陽一郎

ゲンロンカフェに近づくたびに、ここが何かの中心であると感じます。語ることへの賛美と情熱がそこにあり、生きることの困難さと感動がすべてのコンテンツを貫いている。そんな、誠実さが好きです。

茂木健一郎

ゲンロンカフェは、一つの偉大な「発明」だ。ゲストが用意してきたテーマが終わった後に、真実の話が始まり、無意識からの創発が生まれる。Lex
Fridmanのポッドキャストよりも前に長尺の本音トークのフォーマットを立ち上げたのはさすがだ。東浩紀さんがゲンロンカフェという立ち位置で批評、論考を続けていることは文化史上の奇跡である。「モギケンカフェ」などの形で参加させていただく度に、喜びを感じる。「シラス」の私のチャンネルも充実し、大切なコミュニティが育ちつつある。10周年おめでとうございます!

山本貴光

対話はあそびに似ている。目先の利益や効率から遠く離れた場所でこそよく行われるところなんてまさにそう。あいだにいろんなテーマを置いて、誰かとああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねるゲンロンカフェでの時間はなににも代え難い。それもこれも視聴者やスタッフのみなさんがあってこそで、そんな場所が10年も続いてきたことが、なんだか奇蹟のようでもある。知と創造の「マジックサークル」(©ホイジンガ)であるゲンロンカフェが、どうか末永く続いていきますように。

弓指寛治

10周年おめでとうございますすすすす!!
2015年に新芸術校1期に通い始め、2016年の成果展に出した「挽歌」という作品から今の活動に繋がっているので僕にとってゲンロンカフェは始まりの場所でもあります。
そんな場所がこれからもずっと続いていってくれますように!
また遊びに行きます!!!!!!!!

吉川浩満

10周年おめでとうございます。もともと東浩紀さんの話を聴くために通いはじめたゲンロンカフェですが、それだけでなく、浅田彰さんの鼻血事件や還暦祝い、大澤真幸さんと宮台真司さんのリユニオンなど、数々の歴史的瞬間に立ち会うことができました。どれだけ感謝してもしきれません。今後のさらなる躍進を楽しみにしています。これからも微力ながら登壇者としてお力添えできたらさいわいです。

吉田雅史

私がゲンロンカフェと出会ったのは2015年のことです。そしてちょうどそのタイミングで募集が始まった批評再生塾への参戦を通して、気がつけば週に何度もゲンロンカフェに入り浸ることとなりました(しかもほとんどがオールナイト!)。その結果、一方では普通の生活を危うく失いかけるのですが、他方でその後の人生を変える財産をいくつもいただきました。端的に、人生の歩み方において路頭に迷っていたとき、前進を続けるための中継地点かつ旅先案内人となってくれたのがゲンロンカフェだったのです。ここにはどんな属性の人間でも垣根なく入っていける場の雰囲気があり、そのような場が10年もの間続いていることを素晴らしく思います。10周年本当におめでとうございます!

吉見俊哉

ゲンロンカフェ10周年、本当におめでとうございます。
これまで何度か出演させていただきましたが、いつも私は番組終了後も続くみなさんとの会話が楽しく、終電に乗り遅れています。タクシー代で出演料が吹っ飛びながらも、若い頃によく深夜まで時間を忘れて飲み、話し、終電に乗り遅れていたことを思い出します。昨今は、こういうエキサイティングな会話を長時間続けられる場が滅多にありません。コロナ禍が終わり、再び人がリアルに集まりだすなかで、神出鬼没の〈夜のカフェ〉を列島各地に出現させていってほしいと思います。期待しています。

和多利浩一

思想や批評を書籍の中で論じていくという常識を打ち破るべくして登場したゲンロンカフェ。
衝撃でした。
しかもエンドレスで膝詰めの会話が続いていく。
知らないうちに思想や思考が全く未知な領域へと運ばれていく体験をなん度もしました。
今後もその片隅に私もエールを送りながら関わっていければと思っております。