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〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉の講義を生中継します。「講義」部分の視聴はゲンロン完全中継チャンネルの会員の方限定となります。
「講評」部分の中継は一般の方でもご視聴いただけます。「講評」部分については、タイムシフトを公開しません。あらかじめご了承ください。
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【課題】
〈東浩紀による課題〉
この課題が提示されて前後して告知されていると思いますが、批評再生塾は今期で終了となりました。みなさんは最後の批評再生塾生となります。そして、ぼくの授業が行われる2019年は平成最後の年でもあります。
というわけで、みなさんには、平成にとって批評とはなんだったのか、あるいは逆に批評にとって平成とはなんだったのか、それぞれの平成観/批評観を書き記してほしいと思います。とりあえずの参考文献としては、佐々木敦さんの『ニッポンの思想』と『ゲンロン』第1期で展開した共同討議シリーズ「現代日本の批評」があげられますが、独自定義による独自の歴史観でもかまいません。
平成は1989年に始まりました。1971年5月に生まれたぼくは、当時17歳でした。ぼくはちょうど、そのころから批評を読み始めています。つまりは平成は、10代後半からいままでのぼくの知的キャリアにぴたりと重なっており、その点でぼくは完全に「平成時代の批評家」です。ぼくは生年としては昭和生まれだけれども、昭和時代の批評をリアルタイムで読んだ経験はほぼありません。だからぼくにとって、平成を振り返るということは、批評を振り返るということにほとんど等しい行為です。そのようなぼくに、盲点だった新たな平成/批評の可能性を教えてくれる、斬新な平成論/批評論をお待ちしています。
〈安藤礼二さんによる追記〉
私は東さんより4歳年長ですので、平成がはじまった年、大学卒業を間近に控えた21歳でした。チェルノブイリの事故は3年前に起こり、ベルリンの壁は今まさに崩壊しつつありました。昭和の終わりと平成の終わりは微妙に重なり合いつつ、重要な差異を孕んでいるように思われます。自分がこれからの人生を選択しなければならなかった時代と重ね合わせ、東さんとはまた異なった視点から、皆さんの平成=批評論を検討していきたいと思っています。
<運営による追記:今回ゲスト講師から文字数制限はありませんので、批評再生塾の基準である「2000字~8000字」を選考対象とします。>
安藤礼二 Reiji Ando
1967年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文芸評論家、多摩美術大学美術学部教授。2002年「神々の闘争──折口信夫論」で群像新人文学賞優秀賞受賞。著書に『神々の闘争 折口信夫論』(講談社、2004年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社、2008年、大江健三郎賞および伊藤整文学賞受賞)、『折口信夫』(講談社、2014年、角川財団学芸賞およびサントリー学芸賞受賞)、『縄文論』(作品社、2022年)、『井筒俊彦 起源の哲学』(慶應義塾大学出版会、2023年)他、最新刊として『死者たちへの捧げもの』(青土社、2023年)。監訳書に井筒俊彦『言語と呪術』(慶應義塾大学出版会、2018年)がある。
東浩紀 Hiroki Azuma
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。
佐々木敦 Atsushi Sasaki
撮影=新津保建秀
1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化のさまざまな分野で活動。著書に『成熟の喪失』(朝日新書)、『「教授」と呼ばれた男』(筑摩書房)、『増補新版 ニッポンの思想』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『批評王』(工作舎)、『新しい小説のために』『それを小説と呼ぶ』(いずれも講談社)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、小説『半睡』(書肆侃侃房)など多数。