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【イベント概要】
「ポストスーパーフラット」から「ポストフクシマ」へ
黒瀬陽平
ゲンロン主催、校長・黒瀬陽平による「ポストスーパーフラット・アートスクール」は、「ポストスーパーフラット」時代のアーティストを発掘・育成し、震災後の現代アートシーンを構築しようとする全く新しいアートスクールとして、今年5月にスタートした。
「悪い場所」(椹木野衣)や「スーパーフラット」(村上隆)という、既存の美術批評のパースペクティブを乗り越え、「情報社会」や「震災後」といった現在進行形の問題に取り組む、という大きな目標を掲げたスクール第一期は、所属も年齢もバラバラな、実に個性的な受講生24名が集まった。
「成果作品展」と銘打った本展は、第一期受講生それぞれが、5月からの3ヶ月間に講義やフィールドワーク、ワークショップなどを通じて構想し、制作した作品を展示する、いわば「卒業制作展」である。
ポストスーパーフラットとは、スーパーフラットが依拠していた文脈を相対化する視点のことである。今回、受講生たちは、スーパーフラットという枠組みに留まらない文化的文脈を多数持ち込んだ。
まず、展覧会場全体は「浄土式庭園」に見立てられている(梅田裕《羊の東西》)。わたしたちは、此岸から彼岸を拝む「橋(エレベーター)」を渡って、「現代における救済の場」としての浄土庭園に足を踏み入れる。東には太陽が掲げられ(初鹿野雄起《RISING SUN》)、西には「秘仏」を安置した阿弥陀堂が配されている(中山いくみ《ポストスーパーフラット祭壇画》)。そして、「宴」の場である砂利敷のフロアでは天女=アイドルが舞い(古村雪《会いに行け アイドル(2035年)》、あたまがぐあんぐあん《アイハラ! idle Harassment!》)、聖衆が遊戯に興じ(遠野よあけ《悪くない場所RPG》)、河原者が物売りをしている(巣窟明《路上生活者〜ON THE DOURO》)……
平安から鎌倉時代にその頂点を迎え、禅宗の流行とともに「枯山水」にとってかわられた浄土式庭園を召喚し、現代アートの空間として見立てることは、スーパーフラットにおいても禅や「無常感」「侘び寂び」などが参照されがちだった日本美術のイメージを、それ以前に遡ることによって拡張し、日本美術史を独自に再編集してゆくだろう。そして、釈迦入滅後56億7千万年後に訪れる弥勒の救済を待つ場としての庭園と、ウラン238の半減期45億年という時間軸の中で「復興」を為そうとする私たちの現在が重ね合わされる。
受講生たちが、ポストスーパーフラットという視座のもと持ち込んだ多様な文化的文脈は、スーパーフラットを相対化すると同時に、私たちの目先をより広範な歴史へと向かわせる。ポストスーパーフラットの視座によって拡張された現代アートは、「ポストフクシマ」の現在を思考するために起動するのである。
ポストスーパーフラット・アートスクール「きみも村上隆を超えてみないか?」 校長:黒瀬陽平
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「キャラクター」が世界をつなぐ
黒瀬陽平
「カオス*ラウンジこども絵画教室」は、「ゲンロンこども教室」のアート部門として2013年10月から隔月で開催しています。「キャラクター」という概念を中心に、子どもたちとお絵かきや工作をしてゆく様々なワークショップを続けてきました。
今回展示されている子どもたちの作品は、2014年4月から8月にかけて、全3回にわたって行われたワークショップの成果作品です。
第1回目は、自分や家族の顔を「変身」させた似顔絵を描きました。身近なモチーフをよく観察し、そのイメージから想像を飛躍させることによって、それぞれのキャラクターを描いていきました。
第2回目は、「ボックスアート」。第1回目で描いたキャラクターが住んでいる「箱庭」を、ボックスアートとして表現。自分が描いたキャラクターがどこに住んでいるのかを想像しながら、「空間」や「環境」を描くということに挑戦しました。
第3回目は、第2回目で作ったボックスアートからさらに視野を拡げ、みんなのキャラクターがいる「世界」を壁画として描きました。これまで自分だけの世界に完結していた作品が、より大きな画面で共存し、子どもたちはお互いを意識しながら、自分たちを包む「世界」を想像していきました。
子どもたちにとって「キャラクター」はとても身近なものですが、自分だけのキャラクター世界を突き詰めると、キャラクターたちはひとつの「空間」や「環境」を要求し、そして他のキャラクターたちと共に住む「世界」へと拡がって、他者と干渉してゆきます。展示されている成果作品は、そのようなプロセスを経て生まれた、子どもたちのそれぞれのオリジナル作品であり、共同作品でもあるような、重層的な「世界」が織り込まれているのです。
【イベント後記】
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