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【稲垣諭さんからのメッセージ】
詩人の茨木のり子さんの詩作品の中に次のようなものがあります。
《問い(人類)》
人類は
もうどうしようもない老いぼれでしょうか
それとも
まだとびきりの若さでしょうか
誰にも
答えられそうにない
問い
ものすべて始まりがあれば終わりがある
わたしたちは
いまいったいどのあたり?
颯颯(さつさつ)の
初夏(はつなつ)の風よ
というものです。僕はこの詩がとても好きで、最後の「初夏の風」が吹くように、人類の絶滅(終わり)を思考する可能性があるのではないか、そんなきっかけを与えてくれた作品でもあります。しかもそこに「やさしさ」が滲むように。
このことは、戸谷さんがお書きになっているテクノロジーや官僚制の「スマートさ」と人類の起源がどのようなものかということにも関係していると思います。それが、数年、数十年、一世紀ほどの単位であれば、まだ簡単に取り外すこともできそうですが、人類の黎明期、あるいは、人類よりも古いとすれば、そう簡単に取り外すことも、解消することもできないですし、かつ、人類を支えてきた「悪」ではない「善」の部分もたくさんありそうです。
どのような事態にも二面性(多面性)があるなかで、どのように僕たちは現代のテクノロジーや官僚制、都市化と向き合っていけるのか、スマートな善はないのか、その辺りのことをあれこれお話しできるといいなと思っています。戸谷さんにはまた、反出生主義との関わりでのヨナス倫理学の有効性についても伺ってみたいことがあります。(稲垣諭)
【戸谷洋志さんからのメッセージ】
音楽ユニットのヨルシカの楽曲に、『又三郎』というものがあります。そのなかでは次のような印象的な詞が歌われます。
≪又三郎≫
吹けば青嵐
何もかも捨ててしまえ
今に僕らこのままじゃ
誰かも忘れてしまう
青い胡桃も吹き飛ばせ
酸っぱいかりんも吹き飛ばせ
もっと大きく 酷く大きく
この街を壊す風を
吹けよ青嵐
何もかも捨ててしまえ
悲しみも夢も捨てて
飛ばしてゆけ 又三郎
< ヨルシカ – 又三郎(OFFICIAL VIDEO) https://youtu.be/siNFnlqtd8M >
息苦しい人生を、容赦なく無に帰していく、風への希望。興味深いのは、その風が、「悲しみ」だけではなく、「夢」さえも吹き飛ばすということです。そこには、理想を思い描くことさえ息苦しくなる、現代社会の閉塞感が表現されているように思います。
稲垣さんは『絶滅へようこそ──「終わり」からはじめる哲学入門』のなかで、そうした閉塞感を「力み」として批判し、そこから脱力するための道筋として、「絶滅」に定位して世界を眺めることの可能性を示唆されています。分野を横断した様々な知見によって紡がれる様々なトピックに、まるで最高級の知のビュッフェのような楽しさを感じた読者は、私だけではないでしょう。
一方で、拙著『スマートな悪──技術と暴力について』において、私は現代社会の閉塞感をテクノロジーのスマート化のうちに見出し、そしてスマート化が人間から責任を奪うという問題を指摘しました。ドイツの哲学者ハンス・ヨナスは、そうした責任能力にこそ、人間の本質があると考えます。彼であれば、スマート化がもたらす閉鎖性を批判しつつも、しかし絶滅をもたらす「風」に対しては、きっと抗おうとするに違いありません。
対談では、稲垣さんが提示される絶滅に定位した世界観のなかに、人間の自由、あるいは責任が、どのように位置づけられるのかをお伺いしてみたいです。お話できるのを楽しみにしています。(戸谷洋志)
【イベント概要】
東洋大学教授の稲垣諭さん、関西外国語大学准教授の戸谷洋志さん、文筆家の吉川浩満さんによるトークイベントを開催します。
今年の春、稲垣さんは『絶滅へようこそ──「終わり」からはじめる哲学入門』(晶文社)を、戸谷さんは『スマートな悪──技術と暴力について』(講談社)をそれぞれ同時期に刊行し、話題を呼んでいます。
『絶滅へようこそ』は、人類が「絶滅」した億年単位の宇宙の遠い先を想像するなど、途方もなく視野を拡張するところから、いまと未来をどう生きるかの哲学を探究します。『スマートな悪』は、テクノロジーが発達し、私たちの生活が便利で「スマート」になることの倫理的な問題について考察を広げます。
両書に共通するのは、官僚的なシステムの暴力を回避し、抵抗するための思索です。官僚的なシステムがもたらした最悪な出来事として、アウシュヴィッツ強制収容所のユダヤ人大量虐殺が挙げられます。しかし私たちは、官僚的な組織のあり方を真っ向から否定し、共同体のいかなるシステムにも属さずに孤立して生きていくことはできません。
ではどうすればいいのか。両書は、村上春樹の作品をそれぞれの道筋で経由することで、官僚的なシステムで成り立つ世界で私たちがより良く生きていくためのあり方を追求していきます。
そのほかにも、技術に対する問いかけなど、さまざまにテーマがクロスする両書。『理不尽な進化』『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』などで進化や絶滅、諸科学の技術の発展を取り上げながら哲学的な考察をしてきた吉川さんの司会進行のもと、気鋭の哲学者おふたりにたっぷりと議論を展開していただきます。どうぞご期待ください。
※ 放送のみ(会場は無観客)のイベントに変更になりました。
稲垣諭『絶滅へようこそ──「終わり」からはじめる哲学入門』(晶文社)
戸谷洋志『スマートな悪──技術と暴力について』(講談社)
稲垣諭 Satoshi Inagaki
1974年、北海道生。東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程修了。 文学博士。自治医科大学総合教育部門(哲学)教授を経て現在、東洋大学 文学部哲学科教授。専門は現象学・環境哲学・リハビリテーションの科学哲学。 著書に『大丈夫、死ぬには及ばない──今、大学生に何が起きているのか』(学芸みらい社)、『壊れながら立ち上がり続ける――個の変容の哲学』 (青土社)など多数。
戸谷洋志 Hiroshi Toya
1988年東京生まれ。専門は哲学・倫理学。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、関西外国語大学英語国際学部准教授。博士(文学)。現代ドイツ思想を中心にしながら、テクノロジーと社会の関係を研究すると同時に、「哲学カフェ」を始めとした哲学の社会的実践にも取り組んでいる。著書に『スマートな悪──技術と暴力について』(講談社)、『ハンス・ヨナス 未来への責任──やがて来たる子どもたちのための倫理学』(慶應義塾大学出版会)、『原子力の哲学』(集英社新書)などがある。
吉川浩満 Hiromitsu Yoshikawa
1972年生まれ。文筆家、編集者、配信者。慶應義塾大学総合政策学部卒業。国書刊行会、ヤフーを経て、文筆業。晶文社にて編集業にも従事。山本貴光とYouTubeチャンネル「哲学の劇場」を主宰。
著書に『哲学の門前』(紀伊國屋書店)、『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』(ちくま文庫)、『理不尽な進化 増補新版』(ちくま文庫)、『人文的、あまりに人文的』(山本貴光との共著、本の雑誌社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(山本との共著、筑摩書房)、『脳がわかれば心がわかるか』(山本との共著、太田出版)、『問題がモンダイなのだ』(山本との共著、ちくまプリマー新書)ほか。翻訳に『先史学者プラトン』(山本との共訳、メアリー・セットガスト著、朝日出版社)、『マインド──心の哲学』(山本との共訳、ジョン・R・サール著、ちくま学芸文庫)など。